NAUIコースディレクターが集結 震災ボランティア活動報告
岩手県山田町水中捜索ボランティア
(経緯)
4月13日にNAUI本社に連絡を入れたときに、山田町でボランティア活動をされているNAUIコースディレクターがいるとの情報を得る。
現地でタンクが不足していて活動が限定されているので、可能な範囲でいいのでお手伝い出来る事があればお願いしたいというNAUIスタッフからのメッセージを受けて、現地にいる大坪さん(NAUIコースディレクター)と連絡を取る。
当初はタンクや器材などの搬送をしようと思っていましたが、現状を聴くにつれやはりダイバーの手が必要なのではないかと判断し、一緒に現地に行ける人を集めました。
第一回目の捜索活動に集まって頂いた方は5名。私と現地にいる大坪さんを含め7名のNAUIコースディレクター・インストラクターが集結しました。
(現地との調整)
現地に到着するとすぐにでも捜索ボランティアができるものと意気込んでいた我々でしたが、現地の窓口なっているNPOとの調整がうまく進展せず、もしかしたら潜水活動は出来ないかも知れないと言われました。
これでは我々ダイバーが何をしに来たのかわかりません。
その日の午後に、陸上でのボランティアを終えたNPO代表(災害対策本部の窓口になっている)との話合いを行い、今後の活動は全て自己責任で行い、何かあってもダイバー各自で責任を負うこと、指示、命令などはNPOに従う事など、全てを了解した形で翌日より潜水捜索が出来るようになりました。
(潜水活動開始)
潜水活動開始となった初日 水面から行方不明者を捜索するNPO大雪りばーねっとの隊員と、ご自分も被災され御子息を亡くされた漁師さん2名と船長と、捜索活動がスタートしました。
NPOの隊員はダイビング経験もなく、また、海に関する知識も豊富とはいえず、当初は我々に対する指示も調整も適切とはいえない状況でした。また、お互いの意思疎通もうまくいかない中、ちぐはぐな捜索活動がスタートしました。
そのような活動でも何度か潜るにつれ水中の様子も把握出来てきて、我々ダイバーから水面の捜索隊に指示を出すことができるようになりました。
いったん捜索を開始した後は時間の無駄を少なくするため、船にあがることをせず船からロープをたらしそこに捕まりながら移動します。水温は4度程度しかありませんでしたので体力の消耗も激しく、それでも一日6回以上の潜水を繰り返し行いました。
高野さん(NAUIコースディレクター)が2日間の滞在を終え、代わりに駆けつけてくれたのが角さん(NAUIコースディレクター)でした。角さんとはこのボランティアの話がある前から、「何かそんな話があればすぐに行きたいね」と話をしていたところでしたので、今回も最初に電話をさせていただきました。月曜、火曜と経営しているダイビングショップのツアーがあった角さんは、火曜日のツアーが終わると直ぐに深夜バスにのり早朝山田町に来てくれました。
角さんは友人の野崎さん(NAUIコースディレクター)とIANTDの鷹野さんと共にボランティアに参加です。
3人が到着した日の山田の海は少し荒れていて午前中にNPOから捜索中止の伝達がされていました。
3人が到着後、我々は山田町湾内を周り潜水が可能な捜索ポイントを探しました。船が出ないとの事なのでこの日は通常捜索していない、船越地区で岸壁よりエントリーして湾内を捜索しました。視界は3m、様々な物が沈む湾内、捜索ターゲットは水面に浮かぶ家です。
100m以上の移動を行いターゲットポイントに到着。角さんと二人で慎重に家の周りを確認する。
屋根の中には網などがからみ我々ダイバーの搜索を阻む。
一通り確認した後、捜索ポイントを変更し、そこまでまた移動。通常は船で移動の場所を自力で移動するため体力は著しく消耗する。
船やガレキを丹念に見るがこの日は何も発見出来ず終了しました。
(捜索開始3日目)
この日はボートに乗り湾内の牡蠣筏を中心に搜索を行いました。
牡蠣筏の内部は暗く光も届きませんが、水面近くは非常に透明度もよく全体が見渡されました。筏上部にご遺体が引っかかる可能性も高く水深はあまりとらずに搜索を行いました。
広範囲に渡る牡蠣筏と、町の人からの要望のあった船着場など可能な限り捜索を行いましたが、発見にはいたりませんでした。
我々のボランティア活動の第一陣はこの日の搜索で終了となりました。後片付けを終え帰路につく我々ダイバーは、見つけられない虚しさと短期間の内にあった様々なやりきれない思いを胸に残し誰も見送る事もない山田の町を後にしました。
「このままでいいのか?」という想いがありましたが、なんとかスケジュールを調整して後半から参加された角さん達には、さすがにもう一度行こうとは言えませんでした。それだけ納得できない事が多い数日でした。
もしも行くならば自分だけとも思っていました。
(再び山田町へ)
GWを前に準備に追われ、幸いなことに忙しいGWとなって、震災後からの停滞ムードはようやく抜け出せた感じがしました。角さんとも「なんとかいいGWが迎えられたね」と安堵したものでした。
GWが一段落した時、気にかかっていた山田町にまた行ける時間がないかと時間の調整をはじめている自分がいました。
あれから一度広島から戻った大坪さんも現地にいる人達と連絡を取り合いながら状況を確認しており、日本財団に助成金の申請も行い、今後の活動資金も準備できそうな手応えがあったため、再び山田町に行くことを決めました。
出発日を決めまた応援を要請し、今回は八丈島からビエントスの大石さん(NAUIインストラクター)に参加していただき、3名で埼玉を出発しました。
今回は5日間の滞在で我々の体力は限界となり、今までの搜索で一番厳しい捜索になりました。
繰り返し牡蠣筏を潜り、ほぼ全ての筏を確認しました。住民の方の要請にお答えするため、他地域まで潜水範囲を広げました。沈んでいる船の部品を引き上げる作業のお手伝いも行い、宿舎につくと直ぐに寝てしまうほどの状態でした。
水面捜索の人間は潜水を知らないため、減圧を終えて水面に戻るとすぐに「次のポイントは?」と休憩なしに潜らせようとするので、「死んでしまう?」とまじめに思いましたね。
(もう今回が最後)
二度目の捜索終了の時「一応やれることはやった」、その思いで山田を後にしましたが、なぜかまた3度目の山田町の準備をしている自分がいました。
二回目終了したとき借りていたタンクなどを日アクさんに返却し頭の中を仕事モードに切り替えたつもりでした。
あとは埼玉から出来る支援をしようと思っていました。
しかし、今回台風が本州を直撃?なんて事になりそうだったため土日のツアーを中止して、ぽっかり空いた時間をプール講習や学科講習に変更しました。
「待てよ、この日、自分は居なくていいなぁ」と思い、スケジュールを確認して山田に行く事を決断。こうして3度目の山田行きが決まりました。
直ぐにメールを出し、山田町に行ける人を集めました。今回も高野さん、山崎さん(NAUIインストラクター)、そして当店から三瓶さん(NAUIインストラクター)が参加いただき、3回目の山田行きが実現しました。
なぜここまで山田にこだわるのか?
それは一緒に捜索した漁師さんの言葉です。
毎日、毎日休むことなく懸命に水面を捜索する二人。
二人とも息子さんが行方不明になった。本来なら真っ先に自分たちの家族を探して欲しいと思うもの。
しかし、二人は懸命に山田のみなさんを水面から探すお手伝いをされている。
いつも元気よく「ごくろうさん」と僕たちに声をかけてくれる。
牡蠣をごちそうになった時、息子さんの話を聞けた。そして小さな声で「こうして捜索に参加すれば、もしかしたらおらの息子もみつかるかな?と思って手伝っている。」
「毎日、毎日祈っているんだ」と涙ぐむ漁師さんの言葉に返す言葉もなく、ただ「頑張ります」としか言えなかった。
陸上では自衛隊、警察官、ボランティアの人達が、懸命に復興に励んでいる。
崩れた家やガレキ、全てが言葉を失う位の出来事の中でその光景が日常になり、生活を送る人々がいる。そうせざるを得ない。
大切な人があの日突然いなくなる。
たった2月半で忘れる事なんかできない。
みんな誰かのためにと思い懸命に活動する。
自分達が出来ること 海に潜ること
ダイバーだから出来る事。ダイバーにしか出来ない事。
誰でも参加してくださいとはお願いしません。リスクもあります。
しかし今後も活動を持続するためには、多くのインストラクターレベルの皆さんの力が必要です。
ボランティアは決して綺麗事だけで済まないことも今回初めてわかりました。
誰からも評価されないかも知れません。
でも それでも助けを求める方がいます。
みなさんのご協力を頂けたら幸いです。
ブログ拝謁いたしました
私は東京でslowjamというダイビングショップを経営しておりますNAUIインストラクターです
友人を募って、数回陸上のボランティアにいっておりますが、水中の捜索が必要で、人手が足りていないということを、貴方のブログで始めて知りました。
もしも、お手伝いできることがあれば、参加させていただきたいと思います。
メールアドレス記載しますので、ご連絡いただければ幸いです